2005年02月22日
■ 親の心ない言葉
Produced by : 小田原宣良(英語 昭27〜59年)
「あのね、お母さんがね、お金ばもっとどっさいもって来なっせと云ってお父さんと喧嘩ばしなはっとヨ」
ふとバスの中で耳にした三才位の女の子の話である。
一体これは子供の心の鏡にはどのように映っているのだろうか。幼いと云って決して軽く考えてはならない。きっと心の眼には親の不仲を捉えていることであろう。そしてありふれたこの種の言葉であっても、子供の心には癒すことの出来ない深い傷を残すことであろうし、それが将来どんな形に展開していく事であろうかと思うとゾッとする。不憫なことである。
■ 新校舎に憶う
Produced by : 春口光義(美術 昭34〜44年)
「光陰矢の如し」と申しますが、人生の過ぎ行く速さが身に沁みる齢となりました。私の家の前の道路から必由館高校の新しい校舎の建築と大きなクレーンの姿を目にする事が出来ますが、私が市立高校に田代順七先生の後任で参りました昭和三十五年当時は粗末な木造の校舎でした。勿論、当時は女子生徒のみでしたが皆さん伸びやかで、体育関係、文化関係の双方共、活溌さに溢れていました。
今は老朽化してしまいましたが現在の校舎は名物校長だった下條靖氏の奔走と盡力で生まれたもので、私達も十年先、二十年先を見据えての設計の為に頭を撚ったものです。ウィーン美大留学の為に九年間の市立高校勤務に終止符を打ちましたが、同僚や先輩にも恵まれ充実の中に人生の方向づけを得ました。
_ 清田 映子 […春口先生へ市立の*あの、独特と言うのか==野に放たれた様な、教師達の奇行又は、攻めぎあいは…生徒にとって歴史に残る..]